
| 生まれ |
1979年 |
| 子供の頃の夢 |
造り酒屋 |
| クラブ活動(中学校) |
剣道部 |
| 働いている地域 |
愛媛県 |
出身地 |
愛媛県 |
| 仕事内容 |
日本酒を製造し販売する |
| 自己紹介 |
旅をするのが好き。とにかくじっとしているより動いていたい性分。「なせば成る」この言葉が大好き。 |

※このページに書いてある内容は取材日(2007年09月20日)時点のものです


私はお酒を造る・売るという仕事をしてます。お酒といっても色々なお酒があるんですが、「日本酒」と呼ばれる日本独特のお酒を遥か昔、130年前のご先祖の代より受け継いで今に至っています。私の会社では一年で一番寒い時期である冬の間に一年分のお酒を集中的に造っています。4月~5月に一生懸命造ったお酒がやっと誕生し、それから次の酒造りをする冬までの間にお客様に販売をするのが、一般的な造り酒屋の仕事の流れです。お酒の原料は皆さんと日々馴染み深いお米と水なんです。簡単に言うとお米、水、そして酵母と呼ばれる微生物によって食べるお米から飲むお米に変化するのですよ。酵母と呼ばれる微生物を取り扱う為、お酒造りをしている期間は一瞬たりとも気を抜く事が出来ません。その間、酒造りのリーダーである杜氏を中心に蔵人たちは泊まり込んで、一時もお酒から目を離すことなく、美味しいお酒が出来るために一つになって頑張っています。これらの作業は蔵と呼ばれるところで行ってます。蔵の中には、お酒を造る際に使用するタンクが整然と並べられて広さは学校の体育館くらいの大きさがあります。そのような場所で一生懸命造ったお酒が商品となってお客様の元へに出ていくんですけど、私の会社で1年間に、お酒の大きい瓶(1.8L瓶)で約10万本のお酒を製造しています。出来たお酒はそのままではお客様の元へ届かないので酒屋さんなどのお店にお届けしないといけません。そのためには営業やご案内が必要となります。主に私の仕事はというとお客様にお酒をお届けする為の営業という仕事をしています。私の会社には、杜氏という優秀なお酒造りのリーダーがいますし、私の弟もお酒造りにたずさわってます。一生懸命造ったお酒をご紹介して、その先にいる一人一人のお客さままで届けるという仕事も造り酒屋にとっては大切な仕事です。
毎朝会社に出勤してから朝礼をしています。何か問題点があればそこで解決をしますし、問題がなければそれぞれ自分の仕事にうつります。私はお酒を売る営業という仕事を担当してますので、まず注文を受けた商品を出荷する準備をします。そして、トラックに積んでお店に行き、商品をおいて、新しい商品の紹介やいろんな情報交換をします。日によって違いますが、1日に5件6件、多いときにはそれ以上お客さんのところへ行くこともあります。また、月曜日から土曜日までずっと外に出ているわけじゃなく、一生懸命造ったお酒を出来るだけわかりやすく伝える為にパンフレットを作ったり、新商品の企画なども考えますので週に何日かは事務所の中で、パソコンと向き合う日もあります。それ以外に私の会社を知ってもらう為のイベントなどの企画もしますので忙しい毎日が続きますが、限られたスタッフで出来るだけ効率よく仕事が楽しく出来るように協力して毎日仕事をしています。

お酒は必ずしも生活の中に必要なものではなくて、嗜好品といって人が楽しむためのものです。だから、10人お酒を飲む人がいると、みんなそれぞれ好みが違います。だからこそ、お客さんに自分の会社のお酒を勧めるときには、「こういうものを造りました!」という独自の色を明確にアピールしないと、相手の人はなかなか受け入れてくれません。私の子どものころと比べて、県外や海外からもいろんなお酒や嗜好品が入ってきていますので、正直競争は激しいです。そのような厳しい状況の中で、自分の会社としての良さを皆様にアピールしていくことが難しく悩む時もありますが、それが実はやりがいや楽しさに繋がったりしています。
お客さんに「おいしい」と言ってもらえることがやりがい
一生懸命お酒を造っているだけに、お客さんに「おいしいよ!」と言われたときにはすごくうれしいですね。私は対面販売といって、売場に行ってお客さんと直接話ながら販売するのが好きです。杜氏や自分の弟など、近い存在の人が造ったお酒を「おいしいね」って言ってもらうと、自分のことのようにうれしくなります。お酒を造るのは本当に大変なんです。蔵に入ると、お酒ができあがるまでの期間、微生物や温度管理といつも戦っているので、なかなか蔵から出てこれないんですよ。3ヶ月間、土日も全く休みがないくらいです。でもお客さんから「おいしい」と言ってもらえることにやりがいを感じているからこそ、忙しい毎日が続いてもがんばることができます。苦しさを乗り越えて、嬉しさがあるというこの仕事は「やりがい」がたくさんあります。

お酒の造り手の思いや自分の思いを正確に届けるということを日頃から大切にしています。お酒は嗜好品ですから無理に買ってもらう必要はないと思います。自分の考えていること、自分が今まで歩んだ道で学んできたこと、造り手のお酒に対する思いなどをお伝えして買ってくれないのであれば、残念ですがご縁が無かったのかなと思い、決して無理に売る事はしません。でも、相手の方に自分の信念や考えが正確に伝わるまでとことん話したいと思ってます。

幼稚園のころのアルバムを見てたら、造り酒屋の息子なのに、「おまわりさん」になりたいって書いてあるんですよ。当時は真剣に考えてなかったんですね。小学校、中学校、高校の卒業アルバムの中に、将来の夢を書くところがあるじゃないですか。その頃には決まって酒屋さんって書いてあったんですよ。でも、当時は「家が造り酒屋だから家を継ぐんだろうな」という程度で、あまり真剣には考えてなかったんですね。大学を選ぶときには、酒造りではなく経済系の大学を選びました。そして卒業のとき、初めて真剣に考え、「このまま実家に帰っていいのか」と急に怖くなりました。もっと色んな経験をしたいという一心でその後、東京のお酒関係の会社で働きました。故郷を離れ、外から愛媛県西条市という町や自分の家を見つめなおし、そこで改めて家族の大切さや先代の思いなどを感じることができました。お父さんやお母さんは、「蔵を出て自分の好きなことをしなさい」と言ってくれたんですけど、自分は家に帰ることを決断しました。初めてお金や時間じゃなく「やりたい!」という強い思いが湧いてきた瞬間でもありました。

子どものころは、外に出てみんなで野球をやったりサッカーをやったりするのが好きでしたね。でも、人の目が気になったりイジイジしたりする弱い面も持ってて、それでも何とかみんなについていこうとする弱い子でした。僕は小学1年生のときから剣道をしてたんですけど、剣道の練習って厳しいんですよ。練習に行くのが嫌で、「嫌だ嫌だ」と家の中でよく泣いてました。で、よく母親が自分の首根っこをつかんで、練習場まで連れて行ってたみたいです(笑)。剣道場についても泣いてるんですけど、母親は帰っちゃうし、剣道の先生につかまって「やれ!」と練習をやらされるし、そこで根性をきたえ直されましたね。また、よく蔵でかくれんぼをしてました。でも、ある時期、蔵がこわくなったことがありました。僕がだだをこねて泣きやまない時には、よく親に首根っこをつかまれて蔵の中に放りこまれてたんですけど、夏場の酒蔵は酒造りをしていないのでし~んとしてるし、昔の構造で建物がしっかりしてるから、叫んでも誰も来てくれないし。おまけにひんやりしてて。当時は「おばけがこわい」と思う時期だったので、ここはこわいところだと思って近寄らなくなった時期もありました。それが今じゃ蔵の仕事をしている。不思議なものですね。

どういう人生を歩んできても、どういう環境で育ってきても、人は一人では生きられないと思います。自分も東京から帰ってきて気づいたんですけど、どこにいても自分を支えてくれる人はいます。親、親戚、友人、先輩、後輩、取引先・・・・。だから、出会った人にご縁を感じて感謝をして、そのご縁を大事にしてほしいですね。「一期一会」そのご縁の中で、新しい自分の夢や目標が見つかったりしますから、いつまでもご縁を守りながら、自分の夢や目標を定めてがんばってもらいたいと思います。私は東京に5年間いたんですけど、最後にお世話になった先輩や友人から寄せ書きをもらいました。今でも悩んだときにそれを見ていると、がんばろうと思っていたとき、蔵に帰ると決心したときの気持ちがよみがってきます。頑張って応援してくれる人のためにも先代の思いを受け継いで毎日頑張っていこうって思いますね。
取材・原稿作成:西条市産業振興課 大久保