
| 生まれ |
1949年 |
| 子供の頃の夢 |
エンジニア |
| クラブ活動(中学校) |
バスケットボール部 |
| 働いている地域 |
茨城県 |
出身地 |
茨城県 |
| 仕事内容 |
学校の目標を決め、管理運営する |
| 自己紹介 |
|

※このページに書いてある内容は取材日(2007年06月13日)時点のものです

校長の一番大切な仕事は学校全体の教育方針を決める事です。まず、新年度が始まる前に県や市の教育方針や私たちの学校の特色、子どもたちの変化を考えた上で学校の目標を作ります。それから、転任などでいなくなる先生がいるので、新しい先生を教育長にお願いして学校に向かえたり、先生方が働きやすいように学校の設備を整えたりします。新年度が始まると、先生が持っている力を十分に発揮できるように、先生どうしが良く話し合い協力できるように気を配り、先生が成長できるように「教員評価」という成績表のようなものを作ってアドバイスもします。校長は学校の外で行う仕事もたくさんあります。地域と一体になって教育を行うために地域の区長さんを始め、保健所、給食センター、地元の商店街など、たくさんの組織と連絡を取り合っています。こうやって、先生方や地域の方と何回も話し合いながら学校の目標達成に向かって毎日の仕事をしているのです。
出張にでかけることが多いので、日によって仕事の流れは全く違います。平均して1週間に1~2日は出張があるのですが、年度の初めである4月や5月は人や組織が変わったばかりで話し合いをすることがたくさんあるので出張して会議に参加することがもっと多くなります。出張する先は校長会をはじめとして、給食センターや青少年育成会など学校に関わる様々な組織です。私は校長として会議に参加する場合だけではなく、その組織の委員として会議に参加する事もあります。出張のない日は、朝、登校してくる子どもたちに挨拶をして、授業が始まる前に先生方と一日の流れを確認します。それからお客様とお話をしたり、授業の様子を見たりします。週の終わりには先生全員が集まって会議をして一週間を締めくくり、次の週の確認をします。
私は「先生になろう!」と思っていましたが、初めから「校長になろう!」とは考えていませんでした。先生になろうと思ったきっかけは中学校の時に出会った理科の先生に、とても憧れていたからです。私は理科が好きだったし、何よりその先生の授業は分かりやすく、その先生自身も教科書に書いていないような深いところまで研究して理科を教えもらいました。本当に、授業を楽しんでおられたようです。私は高校に入学してから、農家である家の仕事をするかどうか迷いましたが、理科の先生を目指すと決めて教員養成大学に入学しました。理科の先生になろうと決めたのもその先生に憧れていたからですね。

私は「子どもたちが輝く事が一番」だと考えているのですが、子どもたちが輝くかどうかは、子どもたちと接する先生の日ごろの行動や発言や気持ちが大きく影響します。先生には知識や技術も必要なのですが、一番大切なのは子どもたちの成長をサポートしようとする「意欲」です。そして、先生から「意欲」を引き出すためには、先生自身が良い結果を出す事が一番なので、私は先生の成果を認めること、褒める事を大切にしています。ダメなものはダメですが、ものは見方によっても違いますので、なるべくいいように見てあげる。子どもも大人も同じだと思います。様々な活動を通して先生と子どもたちが一体となれば、先生は輝くし、先生が輝けば子どもたちも輝く。だから、私は先生方が生きがいを持って仕事に取り組んでいる姿を見かけると、とても嬉しい気持ちになるんですよ。
校長としてやりたい事はたくさんあるのですが、お金や設備、人にも限りがあるので、全部を思い通りにすることはできません。例えば、最近は理数系の免許を持っている先生が少ないので、普段からいい人を探してはいるのですが、なかなか必要な時にすぐ先生を見つけられるとは限りません。また、いじめ問題への取り組みとして、私の学校では「ピアサポート」という子どもたち同士でも助け合えるような新しい仕組みを作り始めています。まだ始まったばかりなので全てがうまくいくかは分かりませんし、どんな問題でもすぐ解決できる事はありません。でも、がんばることで解決できることはたくさんありますし、がんばらないと何も解決しないので、すぐに結果がでることだけを求めるのではなくて、がんばることが大切なのだと思っています。
先生をしていた時、サッカー部の顧問になった事があります。私は学生の頃にサッカーをやっていたわけではなかったので初めのうちは上手く教える事ができなくて、試合出10対0で負けたりもしました。でも、顧問になって三年後、ある大雨の日の試合からチームが変わり始めました。雨のせいでどちらもボールを上手く扱えず、点が入らないまま試合が終わりそうだったのですが、終了直前にコーナーキックからキャプテンのシュートが決まって1対0で勝てたんです。それは運もありましたが、それからどんどん試合に勝てるようになりました。その思い出が今でも重要な教訓になっていて、すぐに解決しないことや嫌な事があっても深く悩まず、いつかは必ず良くなると考えてがんばり続けることを大切にするようになりました。
私が小学生だった頃を知る人からは「おとなしい子どもだった」と言われるのですが、私自身は、川に行って魚捕りをしたり、近所の竹やぶに行ってみんなで元気に遊んでいたことを覚えています。チャンバラごっこ、弓作り、杉鉄砲…。竹を切るための小刀と竹があればいろんな遊びができました。小学校の高学年になるとラジオが好きになって、その頃流れていたラジオドラマをよく聴いていました。中学校ではバスケットボール部に入り、性格も外交的になりました。高校生の頃もラジオが大好きで、アマチュア無線をやってみたり無線機をつくったり…本当にいろんな物を作っていました。中学や高校の授業や、そのころの様々な体験のおかげで旋盤(金属を加工する事)も出来ますし、バイクのエンジンを組み立てたりする事もできるようになったんですよ。
自分の興味や関心に向かって突き進んでいって欲しいと思います。興味があれば自然と意欲も出てきますしね。もし何も興味がないとしたら?それなら色々な事に挑戦して体験をしてみてください。私が電気関係を好きになったのも衝撃的な体験がきっかけでした。中学2年生のある朝、眠い目をこすりながら、アメリカとのTV映像の通信衛星の実験を待っていました。その時、TVから飛び込んできたのが、「ケネディ大統領が暗殺された」という第一報でした。その時、私はニュースや新聞よりも先に「自分は日本で最初にケネディ大統領の暗殺を知ったんだ」と気づき、心臓の鼓動を強く感じました。この事件はとてもショックなものでしたが、こういった体験もラジオや理科に興味を持った理由の一つかもしれません。自分の体や頭で感じた事は大人になってから仕事をしている時に「体験が生きているなあ」と思います。そういう感覚が日本にも、子どもたちの将来にもとても重要なんだと思います。
取材・原稿作成:五木田(インターンスタッフ)